人が住んでいない空き家。実際に見る機会は少ないですが、映画やドラマではよく見かけますよね。塵は積もり、蜘蛛の巣が張り、異臭がしたりと、とにかく荒れます。なぜでしょう?
換気が行われないと、空気の流れがなくなり、ホコリが溜まります。
湿気も滞留するのでカビなど細菌類が繁殖します。
その菌類は木材などを腐らせます。
湿気や菌、ホコリを根城として虫も集まります。
こんな理由で荒れると考えられています。これには異論はありませんが、別の見方(考え方)として、これの存在を考えています。
それは「意識」の影響。
住んでいる人が居るとそこには意識が存在し、草木や家具、壁や天井にも意識を向けることがあるでしょう。逆に、住んでいても部屋の角や天井の角、天井裏など意識を向けないところもあるでしょう。
この何気ない意識が、事象に変化を及ぼしているとしたらどうでしょう。
科学において、観察するという行為が観察される現象に変化を与える「観測者効果」というものがあります。アインシュタインは娘に「愛こそが存在する最大の力」と語っています。これらも「意識」の力ではないでしょうか。残念ながら、存在は示唆されつつも、科学的定量的な裏付けは現時点では得られていません。
しかしながら、意識の力があると考えると、現実の結果に納得がいくケースが多々あるのです。私見ではありますが、意識の影響方向を分類するならば、関心を向ける・興味を持つ・観ることがプラス方向に働き、最もマイナスなものが「無関心」。深い愛や情熱、集中力をもっていれば大きなプラス。憎しみを抱いている場合も大きなプラス(意識を向けているので)。私はこう考えています。
私は植物が好きなので、家で沢山育てていますが、意識を向けただけ、呼応するように成長しているように感じます。株式投資では、放置していたり忘れていたりするものは、総じて収益率が悪い、人任せにしているものはなおさら悪い。家計簿をつけるという行為をするだけで節約効果が生まれます。お客様のやりとりを振り返ったり分析・統計したりするだけでも、営業成績が若干改善します。家族や友人へ意識を向けたり、相手の気持ちを察したり、すればするだけプラスに働きますよね。
「意識の力」という未知の力があるのかもしれません。平行宇宙・多重世界が存在し、意識によって自分の望む未来へスイッチしているのかもしれません。あるいは、意識を向けることが行動変容を促したり、脳の中で感じ方が変わったりしているということかもしれません。どれが正解かは興味はありますが、実はどうでもよいことです。どれであっても「意識」の力は存在すると解釈できると思いませんか? 逆に、すべてがないという可能性の方が低いと思いませんか。
「意識」の力(意識を向けた対象に発せられるエネルギーのようなもの)が存在するとしたら、その対極にある「無関心」は、最もマイナス(あるいはゼロ)の可能性が高い、と思いませんか。意識を向けることが、劣化や腐敗を遅らせ、ものごとを良い方向に導くことにつながる可能性は、十分にあると思います。つまり、意識の力の存在可能性を認めたうえで思考・行動したほうが、アドバンテージが大きいと考えられます。
空き家の荒廃、目の行き届かないところには塵が積もる。お墓参りよりも、ご先祖様に意識を向けることのほうがむしろ大切だと私は思います。家族にも、仕事にも、お墓参りにも、自分の体にも、コミュニケーションにも、社会問題にも。部屋の隅っこに置いてしまった植物にも、お水と意識を忘れず注ぐ。
あなたの大切な「意識」と「時間」をどうでもいいものに費やさず、
大切だと思っているものに対して、深く、丁寧に、「意識」を注ぐ。
言葉にすると当たり前のことですよね。ですが、意識がパワーを持っているという前提で捉えると、日々の過ごし方が変わるのではないでしょうか。