皆さんは生きる目的、課題、目標といったものをもっているでしょうか。欲求と言い変えてもいいかもしれません。人それぞれだと思いますが、これについての私の考え方を紹介したいと思います。

今回の話題は「魂の世界は存在する」という可能性が否定できない前提のもと、話を進めていきます。前回のトピックとも関連しています。

まず基本的なところを再確認しておきますと、魂は、肉体と違って永久です。我々は肉体が朽ちても魂の状態で存続し、またいずれ再び肉体を得て次の人生が始まる、と考えられています。いわゆる「輪廻転生」ですね。また、魂には課題を持っており、次の人生でもそれを継続するとも考えられています。「業、カルマ」というものです。肉体や人生は輪廻転生でリセット出来るけれど、魂の課題はリセットされないというわけです。

ここまではよいでしょうか。

さて、改めて、ご自身の人生の目的、課題、目標を思い返してみましょう。ここで目標・目的・欲求を、私なりに3つのレイヤーに分けてみたいと思います。(私なりの書き方なので、表現が最適かどうかは分かりませんが、伝われば幸いです)

 

まずは①「動物の脳」レイヤー。食欲や性欲、独占欲やジェラシーといった欲求・感情。これらはこの分類といえると思います。犬・猫が持っている欲求と思えば判りやすいかと思います。

次に②「人間の脳」レイヤー。高い知性を持つ人間ならではの次元の高い目標・目的・欲求です。物欲、知識欲、富と名声(プライド)など、社会を構成して生きる人間ならではの目的・欲求です。

最後に③「魂」のレイヤー。上記2つに入らないもっと高次元の目的です。私はこれを「魂の成長」に繋がる唯一のこと=「智慧を得ること」と考えています。

 

皆さんは、③を持っているでしょうか。①②は「生きるための目標」ですが、③は「魂の目標」といえます。私の持論ですが、どんな目標も最終的に③に繋げるべきと考えています。

ところで、①と②は判別がつきやすいですが、②と③の判断が難しいという人もいるかもしれませんので、例を挙げておきます。例えば、「身体を大切にする」ということ。医師は豊富な知識や技術を持っていますが、だからといって医師免許を持った全員が患者の苦しみや命の尊さを理解しているわけではありません。私は医学の知識はもっていませんが、難病を経験をしたからこそ③を得たという実感を持っています。他にも、親子、恋愛、死、貧困など、知識からは決して得られない、経験からしか学べない感覚が沢山存在します。私はこれこそが叡智、智慧=生きる意味、だと考えています。

「生きるための目標」しか持っていない人は、肉体が滅びると何も残らないわけですよね。魂の世界が存在しないならそれでも問題ないですが、もし存在するなら、魂に戻る際には一文無し的な状態かもしれない、そんな特大のリスクを抱えたいでしょうか。私は、魂の世界が存在する可能性は十分にあると考えていますから、出来るだけ前倒しで課題を消化し来世に持ち越せるものを蓄えておきたいし、現世で残った課題が来世に持ち越されるのであれば、出来るだけ今の人生のうちに課題を消化しておきたい、と考えます。日常生活も、食事も、仕事も、人付き合いも、趣味も、例えばアニメを観る時間であっても、「魂の成長」の観点でモノをみることができますし、実際そうしています。過去の色々な体験を通して、今では私は完全に「魂の成長」視点での価値判断をするようになりました。高い次元から俯瞰してみれば、どんなことからも学びは得られるものだと私は思っています。

 

色々説明が小難しくなってしまいましたが、まずは意識を変えませんか?という提案です。食事を摂るにしても、動物としてではなく、魂の存在として意識して摂ったほうが、いろんな意味で成長が期待できると思いませんか?