会社やNPOといった組織に属した際に、理念、信念、指針、といったものを目にしますよね。それらにどの程度関心があるでしょうか? 今回は「組織・集団には理念は必須!」というお話です。
ここでいう組織・集団とは、複数の人間で構成されるものすべてであり、会社やお店、夫婦も例外ではありません。ほぼ全員に関係する話だと思って聞いてほしいと思います。
人(あるいは個人)はそれぞれ様々な主義・趣向を持っています。それが個性であり、アイデンティティであり、完全に一致する人はいません。固有の「ベクトル」を持っているという表現もできます。
次に、集団について考えてみましょう。
「個」が2つ、3つ、10、100・・・と集まって「集団化」したとき、その集団の総和はどういうベクトルになるでしょうか。数学の問題です。答えは「0に近づいていく」です。数が増えれば増えるほど、見事に打ち消しあって無になります。
世の中の人々は、企業やお店、サークルから夫婦まで、様々な集団に属しています。どの集団も、必ず何かしらの目的を持っています。集団の存在理由そのものであり、所属している人たちが所属し続ける理由もそこに含まれているはずです。
集団形成のおける理念の大切さ
企業でいうところ理念とは、いわば集団が持つベクトルです。
世の中の人から”無秩序に”選出して集団を作ると、個人の持つベクトルは打ち消しあい、方向性を持たない集団が出来上がります。企業理念を明示的に打ち出すことは、企業側はより適合する人材を得られることに繋がりますし、求職者にとっても自分に適しているかを入社前に判断する指標となります。
例えば、Aさんがライブ活動をしたくて「バンド」を作ったとしましょう。ある日Aさんがメンバにライブの提案したところ、メンバはライブ活動に興味がなく、結局そのバンドは解散させることになりました。Aさんがバンドの方向性を明確に共有せずにメンバを募集したために起こった行き違いであることは明白ですよね。
集団運営のおける理念の大切さ
すでに出来上がった集団にとっては、理念はどういう意味をなすでしょうか。
会社の理念なんて形式的で一辺倒な内容でつまらない、という印象を持っている方が多いかもしれません。が、理念とは国でいう「法律」であり、何を優先させるか、何をやって何をやらないかを決める価値判断の基準です。理念を明示・共有していない集団は、よかれと思うことを個人個人の価値判断で行動してしまいます。
日本に住む我々は、日本国憲法や条例に則って善悪を語りますよね。社会の常識が憲法や条例に則って構築されている、つまり「あたりまえ」になっていることなので、条文を全文読まなくとも、それらに従うことが出来ます。
しかし、一般の組織・団体だと話は違います。パン屋のオーナーが、儲けたいのか、店舗拡大したいのか、はたまたパンを死ぬほど食べたいだけなのか…、何を目指しているかは、共有されない限り判らないのです。
方向性がズレたベクトルは、合成すると強さが弱まります。つまり理念をより厳密に定義することで、構成員の方向のブレは減り、組織としてのアウトプットは最大になります。
実際、理念をもたない集団も山ほどいます。中小企業の半数弱が企業理念を持っていないとのデータを見たことがあります。理由として考えられるのは、
・方向性を迷っている
・そもそも考えていない(流れで継続している)
・云わなくても共通認識になっていると(思っている)
のどれかかと思いますが、どれもダメだと思いませんか?
売上の大きい企業ほど理念を掲げている割合が高い、というデータがあることを付け加えておきます。
集団に対して理念を設定するということは、集団を無秩序集団でなく有目的集団として機能させる意味で絶対的に必要だと私は強く考えます。決めるだけでなく、共有も忘れてはいけません。それらを怠ることが、集団に属する人たちのストレスを増やす大きな一因であると考えています。
パン屋にパートさんが一人いればそれは集団です。夫婦だって集団です。どんな思いでパンを焼くか。どんな老後を送りたいか。
理念・目的意識の共有が、ストレスを減らし、目的達成の最短距離となる重要なポイントであることを是非認識いただきたいと思います。